HISTORY

拓大SDGsの歴史

明治時代から
世界を舞台にしてきた

1900年(明治33年)設立の拓殖大学は、多くの拓殖人材が世界各地で活躍する
" 国際大学" のパイオニアとして大きな足跡を残してきました。
それは、まさしくSDGsと呼べる活動。ここでは、その一部をご紹介します。

1919年

人種差別への憤りを校歌に

1919年(大正8年)創立20周年を記念して開催された運動会で、初めて校歌が披露されました。最後の第三節にある「♪人種の色と地の境 我が立つ前に差別なし」の歌詞は、人種や地域の異なることを認めつつ、差別感を持ってはならないことを説いています。人種差別への強い憤り、それは現在も拓大らしさを最も表現した歌詞として、誇りを持って歌われています。と同時にSDGsにある「人や国の不平等をなくそう」などに通じる世界への想いに繋がっています。

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1952年

卒業の金森トシエは
戦後の新しい女性像を体現

1952年(昭和27年)に拓殖大学を女子第一号の卒業生として読売新聞社に就職した、金森トシエ。戦後採用された初の女性記者となり、同社初の婦人部長のポストまで上り詰める。大学を出て企業人として活躍するという、現代においては一般化した女性のキャリアモデルを切り開いたパイオニアであった。戦後、初めて女性に選挙権が与えられるなど、女性を取り巻く日本社会の状況が大きく変化する流れの中で、男女間における社会的不平等の問題を見つめ、女性の地位向上に努め、「ジェンダー平等の実現」に尽力した。

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1969年

すべての人に拓かれた
『公開講座』スタート

1969年(昭和44年)、「質の高い教育をすべての人へ」という想いから『公開講座』を始めました。現地に行かなくても海外事情が把握できる講座はもちろん、タイ語やインドネシア語など、他にない外国語講座など、半世紀以上に渡り、世代を超えて多くの人に、拓殖大学らしい「知」を提供。今では150名以上の受講生が集まる人気講座もあり、テレビのニュースでは物足りない人たちの知的欲求に応えています。

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To Be Continued...